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子どもの頃からの夢。
海を渡って、叶えました。
子どもの頃からの夢。
海を渡って、
叶えました。

D.N.
2018年新卒入社
19歳で初来日。ミネソタ大学卒業後、英語指導助手として働いた後にHAL東京へ入学。
入社後はフィールドプログラマを担当。現在は研究開発部に在籍。

「ゲームデザイナーになる」
小学生の自分からの手紙。

日本のアニメや『ポケットモンスター』が大好きでした。日本への強い興味から、ミネソタ大学でアジア言語&文学を専攻しながら、上智大学へ交換留学生として来日したのが19歳のときです。留学を終え一度はアメリカに帰ったものの、どうしても日本に戻りたくて、上智大学でもう1年勉強することに。その後、日本で働くために、JETプログラム(外国青年招致事業)を利用して、千葉県の小学校で英語指導助手として働いていました。

仕事は楽しかったけれど、英語指導助手の仕事には期限がある。日本で働きつづけるためにどうすべきか悩んでいたとき、アメリカの母から手紙が届き、そこには「ゲームデザイナーになる」と小学生の私が書いた手紙が入っていたのです。子どもの頃からの夢を諦めたくない。追いかけたい。そこからHAL東京に入学し、プログラミングの勉強を始めました。ゲームフリークとの最初の接点はインターンシップ。『ポケモン』シリーズをつくっている歴史ある会社なので、最初はカタいイメージがありました。でも、実際は想像と違った。社員の皆さんは常にユーザーのことを第一に考えていて、とても優しかった。その姿勢に憧れて、私は今ここにいます。

入社3ヶ月で、『ポケモン』
プロジェクトへ配属。

入社後は、3ヶ月間の研修がありました。任天堂のSDKやゲームフリークの社内ライブラリを使ってゲームを制作したり、プロジェクトに役立つツールとして、テーブルデータのエラー抽出をおこなうスクリプトもRubyでつくってみました。実務に直結する研修が多かったですね。研修後、『ポケモン』プロジェクトのフィールドチームへ配属となりました。

キャラクターの動きや配置、遊びなど、網羅しなければならない範囲が広く、最初は圧倒されました。でも、シェーダープログラミングを学んでいたこともあり、自分でつくったものがユーザーの目に見える仕事というのはやはり嬉しく、やりがいがありました。入社して驚いたことは、デバッグ期間の長さです。できる限りバグを防ぐことで、インターネットに繋がらなくてアップデートできない環境にあるユーザーでも、楽しく遊べるようにしています。私自身がそうであったように、『ポケモン』シリーズは世界中の人がプレイするゲームですから。

楽しくつくる。
だから、
楽しいゲームができる。

ゲームフリークは、メンバーを職種の枠に押し込めるようなことをしません。だから私自身はプログラマですが、担当しているフィールドに関しては、「プランナーの相棒なんだ」という気持ちで取り組んでいます。プランナーから与えられた企画書通りに進めるのではなく、自分で考えて、アイデアを逆提案しています。新人の私でも、ためらうことなく上司やチームリーダーに気軽に相談、提案することができます。もちろん、グラフィックデザイナーともたくさんやり取りしますし、キャラクターの動きの制御プログラムのためにモーション担当のプログラマとも対話を重ねています。

上司の呼び方も、役職名ではなく、下の名前にさん付けしたり。日本のドラマで見て想像していたような厳しい印象はなく、安心ですね。それはやはり、「良いものをつくるためには役職や年次など関係ない」と考えているゲームフリークならではの風土だと思います。私自身のこだわりは、「楽しいゲームをつくっているのだから、楽しくつくる」ということ。今後は、ギアプロジェクトに参画したり、研究開発部で描画の研究をしたり、いろいろな経験を経てスキルアップをめざしたい。さまざまな視点から、全体を俯瞰できるプログラマになりたいですね。

どんな人がほしい?
仕事へのこだわりは?
本音を、語り合いました。

世界一楽しんで、
世界一楽しいゲームを。